株式会社エーエルジェイ
代表取締役 釘嶋 博之 Hiroyuki Kugishima
【略歴】
2006年04月 アドバンスト・リンク有限会社(現 株式会社エーエルジェイ)設立、代表取締役(現任)
2014年04月 ALJ MYANMAR COMPANY LIMITED設立、Director/Chairman(現任)
2015年10月 ALJ Education Plus株式会社設立、取締役
2020年04月 ALJ DXTech株式会社設立、取締役
2023年06月 ALJ VIETNAM COMPANY LIMITED設立、Director/Chairman(現任)
2006年の創業から延べ15年以上にも渡る企業活動の中で、ワークシフトからなる労働環境の整備や外国籍社員の積極採用、2021年以降にはベトナム(ホーチミン)に海外法人2社目を設立予定等、ALJがダイバーシティとグローバリゼーションを推進する理由ついてトップインタビューを実施致しました
―まずは、会社の成り立ちからお聞きします。
ALJは2006年4月に設立されましたが、どのような経緯で設立に至ったのですか?
2000年代初期のITバブルも終わる頃、別業界で営業職を経験した後、エンジニアとしてITベンチャー企業に就職しました。
その当時のIT業界は、それ以前の3、40年の間に、建築業界のような縦割りのピラミッド型構造が構築されており、最新技術を扱っている業界でありながらビジネスモデルはとても古く、閉塞感のあるものでした。日本は世界に誇れる高度な技術を持っていたにもかかわらず、最先端のサービスやチャレンジを実現させるためには何重にも重なる上司への承認作業が必要で、また出る杭は打たれるような慣習でしたので、今の日本経済の衰退は必然でしかありませんでした。そして、この時期よりインターネットを中心としたITサービスが急速に欧米のものに置き換わってゆくのをリアルタイムで垣間見ることになりました。その激動の最中、ALJを起業しました。今でこそ力強く発信している「この業界構造を変えたい!」という明確なビジョンを持つまでにはまだ至っていませんでしたが、創業のきっかけとなった「全てのエンジニアが平等に評価されチャ レンジが出来る会社を創りたい!」という想いは確固たるものでした
―海外にオフショア会社を設立したきっかけは何ですか。
起業当初『創業10年、社員数100名、売上高10億』という営業らしい語呂の良い目標を掲げ、業界の激動の変化の中でも時代の流れに合わせ変化しながら、毎年10%前後の順調な成長を続けていましたが、2012年、日本の問題からなる社会構造の変化が加速する最中、想像していたよりも相当早く、これまでのビジネスモデルでは通用しなくなると考えるようになりました。
日本の人口は2010年頃ピークを迎え、人口減少、少子高齢化が叫ばれると同時に日本経済の低迷により、以前は沢山出稼ぎに来ていた中国人や韓国人、インド人の優秀なエンジニア達が日本から消えてゆきました。そして、日本人のエンジニア自体も極端に減少していることに気がついたのです。
自己研鑽も含めて2013年から1年ほどかけて、米国やアジア各地を訪れ、直接自分の目で見渡した時、業界も日本の働き方もガラパゴス化していると痛感し危機感を覚えました。日本の業界構造を変えるためには、まずは自分の会社を根本的に変えなくてはいけない。これまでのピラミッド構造のビジネスモデルで会社を成長させていくのではなく、次世代型の多様性と広がりを持たせたWEB型の組織モデルへとシフトしていく必要があると感じたのです。目が覚める思いでした。そこで、ダイバーシティとグローバリゼーションを組み込んだ次世代のビジネスモデルとして、ALJグループ構想「新10年ビジョン」を創出し、加えて独自のコミュニティを築いていける新しい仕組み作りに取り掛かりました。我々はこれを価値共創(コ・クリエーション)の同志群戦略と呼んでいます。
―そうしてダイバーシティとグローバリゼーションを組み込んだ同志群戦略を始めたのですね。
まずは、国内有数の同業者組合が運営するダイバーシティ戦略に賛同し、女性活躍推進のため、福利厚生を整えました。結果、当時業界の中でも珍しく、女性社員が30%以上を占めるようになりました。また、経験豊富なシニアがスキルを生かす事のできるフリーランスサービスを作り、副業促進など就業機会の拡充を図りました。
グローバル戦略としては、2014年にALJ初の海外拠点としてミャンマー(ヤンゴン)でALJ Myanmar(以下、ALJMM)という会社を設立しました
―ミャンマーを選んだのは何故ですか?
東南アジアの様々な国を調査した中で、ミャンマーは仏教国であることや、日本人と近い感覚を持っていること、若年層の人口が今後10年益々成長しそうであること、親日家が多く勤勉であるということから候補に上がりました。たくさん良い点がありますが、最も決め手となったのは東南アジアの新興国の中でも治安が圧倒的に良いという理由が挙げられます。日本とミャンマーの国民性を考慮し2014年にALJMMをオフショア拠点第一号として立ち上げました。
2018年からは日本国内のプロジェクト体制を強化していくため、ALJ GLOBAL Careerという日本でキャリアを積みたいと考えるミャンマー人向けのIT人材サポートサービスを開始し、現在多くのミャンマー人が社員として日本で働いています。更なる拡充を目的とし、次はベトナム・ホーチミンでの設立を予定しています。ベトナムも親日家が多く、東南アジアの中でも人口ボーナスが大きい国の一つです。今後も安定した経済成長と若い労働力が期待されるマーケットです。これまでミャンマーで培ったノウハウを活かし、ALJ Vietnamの早期成功を目指して準備を進めています。
―WEB型の組織を実現するために行なっている取り組みはどんなことですか?
まずは、エンジニアファーストを掲げて、働きやすい環境づくりのアイデアを全部門で話し合いました。並行して、就業規則の見直しやテレワーク制度導入、本社オフィスの全面フリーアドレス化など、準備に1年程度かかりましたが、第一段階としては満足の行くレベルでスタートできたと感じています。
まだ実験段階ではありますが、テレワークは時間や場所に縛られない多様な働き方が可能です。その一方で、社員同士が自由にアイデアを出し合える場所を作りたいと、思い切って本社を全面フリーアドレスにしました。明るく自由な空間作りを目指し、大型モニター付きのラウンジスペースを造ったり、漫画やゲームを置くことにより社員同士が自然と会話が弾むような空間作りを進めています。固定席がないことで、プロジェクトチームの自由な編成も可能になりました。将来的には、海外が拠点の社員が日本に来たり、日本の社員が海外に行ったり、プロジェクトに必要な人が必要な場所で働く、閉塞感のない自由な環境を整え、個々の意欲、能力が発揮できるWEB型組織を更に発展させていきたいです。今後も、ALJグループに入って良かったと社員の幸福度が上がるような会社創りを目指します。
―ALJには子会社が複数ありますが、ALJグループ構想とはどのようなものですか?
「今の仕事(本業)が将来、通用するかわからない。その為、今あるものだけにぶら下がっているのは危険である」という考えから、ALJのグループ構想は変化していく時代の中で自給自足のできる強い組織・事業群を自前で作るというものです。
昨今、WebやニュースでAIの発展により10年後に無くなる職業が騒がれたりしておりますが、実際に自身の目の前の仕事に危機感を感じ、行動に移して準備している人が日本にどれくらいいるのだろうかと他人事ながら心配してしまいます。
低迷が続く日本経済の鬱屈とした中でも、ALJ Groupは未来への自信を失わないため、ピンチをチャンスに変えていくため、グループ会社の新規設立を事業の一環として継続的に取り組んでいます。これまでに失敗もいくつかありますが、本業であるIT業界に関連する分野の、海外オフショア開発やITスクール事業、海外人材のキャリアサポート事業などは着実に実績を出せるようになってきました。
今後も、会社を起業したいという夢を持っている若者が現れれば経営陣として挑戦させてあげたいし、仮にその事業が立ち行かなくなってもグループ会社の違う分野で再チャレンジすればいい。それは経営に関わらず、別業界からIT業界で挑戦したいと扉を叩いてくる未経験の方へも言えることです。まずは、やる気、意欲を評価する企業風土であることを大切にしています。
社内をリニューアルし、フリーアドレス化。大きな窓を活かした明るいオフィスに。部署間のコミュニケーションが活発になり、固定席でないことからプロジェクトチームの編成が自由になった。ラウンジスペースを設け、プロジェクターを設置したことで、成果発表や、セミナーの場として、また、漫画を設置することで休憩時の交流の場として自由に利用されている。
―今後の目標・夢はなんですか。
世界中の優秀な人材が平等に評価され集まる企業体=同志群を創りたいです。
ダイバーシティー(多様性)とグローバリゼーション(世界標準)は、私達ALJグループがそれらを実現するための2大キーワードです。国籍や年齢、性別、働く場所さえボーダーレスな環境を実現し、個々の能力を正当に評価できる仕組み作りを早期に実現したいと考えています。
次世代の働き方に向けた私たちの取り組みは、必ずや未来の日本にとっても良い影響を与えると信じております。ALJの"J"は"Japan"という意味です。これからの日本においても働き方の変化や企業のグローバル化は止まりませんが、決して忘れてはならないと心に秘めているのが、私は日本で生まれ育った生粋の日本人だということです。祖国の日本に誇りをもち、日本の文化を継承し、日本の若者とその未来を元気にしていける一人の社会人でありたいといつも胸に刻んでいます。子供達が未来に夢を持てない国が世界から尊敬され発展して行けるわけがありませんからね。
―ありがとうございました。今後の挑戦が楽しみです。